8週目終了


 10月の2週目を皮切りに始まった「土壌スクリーニング・プロジェクト」。当初、少なからずあったボランティア無しの週を除き、本日12/7(金)で無事8週目が終わりました。
 今週ボランティア参加してくださったのは奈良から山本さん、中村さん、大澤さんのお三方と、群馬から高橋さんの計4名。 雨も降り、何よりも厳しい寒さの中、作業誠にご苦労様でした。
 はじめて女性の生産農家さんが参加された交流会と、最終日のワークショップについて報告します。

 交流会に来てくださった須藤陽子さんはスローフード福島の代表。最近もイタリアはトリノで開催された祭典で、世界150カ国から集まった参加者たちに福島の今を伝えるスピーチをされてきました。
 福島には、先日せっかく交流会に参加いただいたのに、事務局が原稿づくりに手間取り、未だその時様子をこのブログで報告できていない(鋭意作業中です!)有機農業の先駆者、大内信一さんがいらっしゃいます。須藤さんはその大内さんのもとで1年間修行し、原発事故前は約40種類の野菜をつくっていました。しかし、この6月からは大豆をつくりはじめたとのこと。
「ここは頭を切り替えて」
と、須藤さんは軽やかに言います。「その『切り替える』のが難しいのでは?」と聞くと、
「私はずっと、何でも自分一人で決めて行動してきました。農家出身でもなく、こうと決めたらやるだけで、しがらみもありません。結婚もしてないし、子どももいなくて、超身軽なんです」。
 事故以降避難し、農業をいったんやめ保健の外交員もして、その上で福島に戻ってきた須藤さん。直後に測ると1万7千ベクレルあったそれまでの農地では(現在は約3千まで下がった)、自分の体が心配。まず、比較的線量の低い地域にあった休耕田を借りることからすべてははじまりました。
 戻るきっかけは、栃木県にあるNPO法人「民間稲作研究所」が立ち上げた大豆のプロジェクトを知ったこと。それは、放射能は油にまったく移行しない性質を利用し、「震災で汚染された田んぼなり畑を利用して、油になるような作物をつくろう」というものです。

「できることがあるなら、できるだけあがきたくて」 と言う須藤さん。「あがく」から連想する強い意志は内に秘めつつ、とても和やかな交流会でした

 話を聞いていた大澤さんが口を開きます。
「今の福島の農業を絶やさずに、違うかたちに変えて続けていって、そこに産業をおこして雇用も生むというやり方を考えると、その考え方の中から何かが出てくるような気がします」 。
 それにまた須藤さんが答え、話はすすんでいきます。
「油をやってみて思ったのは、そもそも需要があまりないのと、どうしても高くなってしまう。350mlで800円くらい。そう考えると、福島にはもともと酒文化が根付いています。蒸留酒も放射能を完全に除去できるので、そちらの方がいいかもしれません」
 「たぶん、今でも農業をやっている方には 、昔から引き継いだ土地で、出荷はしないけれど、まず、自分たちで食べる分はなんとかできると。農作業を絶やせば田んぼは荒れるだけでしょう?でも、須藤さんのようにつくるものを一気に変えるというのは、昔からお米をつくってる人にしてみたら勇気のいる行為だと思います」
「とはいえ、やはりこの現状です。だから、これはできるなら県が決めて欲しい。たとえ田んぼ文化に長い歴史があっても、福島の安全性や福島そのものをアピールしていくためには、『福島はこう調べた結果だめなので、切り替えてこうします』という風に、方向性を変えていくしかないですよね」。

 交流会から一夜明け、最終日はワークショップです。
 まず山本さんは、前夜須藤さんから聞いた想いは、色々な人を勇気づけられるものだと感じたとのこと。 それに、油や蒸留酒に放射能が移行しないことは知らなかったし、そういうことを含め、福島から発信される情報があまりに少ない。岩手には2度ボランティアに行っているものの、目に見える被害ではない福島の場合は、余計に伝えることが難しいように感じられたとのことでした。
 そして中村さん。ならコープでは7月に福島県生協連・熊谷会長の講演があり、それを聞いて「一度こなあかん」と思われたと。そして実際に来てみて、たまたま初日に作付け制限区域になっている大波地区での作業があり、そこで話した地元農家の方の「役所を信用していない」という言葉に、現実を見た気がしたとのことでした。関西には「原発銀座」と呼ばれる福井県がある。まずは現場に入って、その上でどうなのか考える必要性を感じられたとのことでした。
 次に、大澤さん。この作業は本来ならば、近県総出でやるべきではないか。しかし実際にそうなってない中で、もっと「若い世代の力」 を動員し、若者のエネルギーでうねりをつくりだせるようすべきでは。当然「正直者が馬鹿をみる」状況は避けなければいけない。そして自分自身、せっかく作業に慣れたところで帰るのはもったいないので、必要なら一日増やしたかったと仰ってくださいました。
 最後に、高橋さん。ならコープさんはボランティア参加の前に事前講習の機会まであったと聞くと、単協それぞれでやれることを考えるべきでは。 当時群馬にも放射性物質は降下し、実際に今でも線量の高いところがある。この土壌スクリーニング・プロジェクトは本当に県を動かす可能性あるもので、群馬もしっかり考えるべきだと思う。そして、作業中の雨と風は確かに過酷ではあったが、作業の実感は湧いたとのことでした。

福島の今までとこれからを伝える、
JA新ふくしまのプロジェクト担当・紺野さん

12/7/2012
事務局