ワークショップで語られた言葉


 土壌スクリーンング・ボランティアとして来福してくださった皆様に用意しているのは、まず初日、福島大学・石井秀樹先生による、時には5時間にも及ぶ放射能、プロジェクトの意義と福島の現状についてのレクチャー。

毎週反響の大きい、熱の籠った石井先生のレクチャーですが、現在映像化の準備をすすめています。または、ここで右端に写っている福大・小山チームから朴先生や、さらに別の先生のレクチャーになるかもしれず、調整中です

 その後2、3日目日中の現場作業を経て、3日目夜には地元生産農家さんとの交流会。そして、4日目に改めて丸一日作業していただき、最後に約1時間、JA新ふくしまのプロジェクト担当、紺野氏も同席の上、「ワークショップ」と称する総括、まとめの時間を設けています。

 普段触れていない、考えていない、一般的にはそもそも複雑極まりない放射能、福島の現状についてのレクチャーの感想や質問を、長旅を経て、やっと福島に着いた途端伺うのにも無理があります。

 しかし、現場作業を経て、複雑なレクチャーでの話がじんわり身体に染み渡り、さらには最前線で放射能と格闘されてきた農家さんの生の声を聞き、その上でワークショップで語られる皆様の言葉には、ハッとさせられる要素が詰まっています。

 過去一ヶ月分、紹介いたします。

 2月28日(木)。

大阪いずみ市民生協・熱田さん、さいたまコープ・内田さん、そして女性初の参加となったコープ共済連・関さん

内田「調査の大変さを実感できたが、そもそもそれを『やる』とした決断がすごい。初日のレクチャーが丁寧で驚き、まず想いが伝わった。家の光協会から先生方で出されているブックレット『放射能汚染から食と農の再生を』は、もっと世の中で読まれるべき。これは来ないとわからない。そして、来た人たちがその後繋がっていけるような枠組もあるべき」

熱田「99年に東京〜広島間を歩いたことがあるが、今回来た理由も『放射能が嫌い』だったこと。そして現場で、人員がもっと必要なことを実感した。田んぼを歩いて、それぞれに感触が違うことがわかった。土が好きになった。白鳥が水を突っついている姿を目の当たりにして、本当は純粋にいい光景なはずが、考えさせられた。『伝道師』として、福島から遠い場所でこそ伝えていければ」

関「何も知らないで来て、驚くことが多かった。関東の人間が思うほど、現地は過敏、敏感でないと感じた。かといって落胆しているわけでもなく、とにかく現状を受け入れている?どじょスクの結果は、農家と消費者の安心に繋がる。現地での色々な気付きを、自分の中で消化するだけでなく、伝えていきたい」

 

 3月7日(木)。

ならコープ・西山さん、丸山さんと、写真には写っていないリピーターの木村さん。そして、大阪いずみ市民生協・高野さん

西山「来るまでは、放射能は漠然と『怖い』と思っていた。半減期についても初めて知って、自分の無知を痛感した。交流会で聞いた、福島の人が県産品を避けている話は衝撃的。『測って出なければいい』と思っていたが、そんなに単純なことではない。根拠を説明できないと。地道な活動で、先は長い」

丸山「ニュースでしか知らなかったし、除染さえすればいいと思っていた。実態はもっと深刻。交流会で、『福島は危険と伝えて欲しい』と仰った農家さんの言葉が印象的。福島に来る前に会社で手渡された『放射能汚染から食と農の再生を』は、事前に読んで助けになった」

木村「去年10月以来、2度目。現地がどう変わったか、進んだか、自分の目で見たかった。関西は特に感心が薄れてきた中、現場スタッフの高いモチベーションを嬉しく感じた。スタッフ佐藤さんの『人のためになること』という言葉が印象的。これを続けるには熱心さが必要」

高野「大阪の実感としては、風化云々でなく、ほぼ『遮断』。敦賀原発の話になっても、なかなか福島の話にならない。情報がなく、意見があっても極端に『子どもを殺すつもりか』となりがち。農作物に至る前の話。作業の積み重ねが安心をつくる。生協として、どこまで消費者が実際に『買う』ところまで持っいけるか、悩ましい」

 

 3月14日(木)。

ちばコープ・繁田さん、日生協・関口さんと蔦さん、そしていばらきコープ・石田さん。写真はかつてなく賑やかだった、前日夜の交流会より

繁田「事故以降、厚労省が発表する食品モニタリングのデータを理事長、専務他に配信する役割を担ってきた。実際に西日本の野菜の需要も上がった。数値だけが先行している印象。では数値がわかったとして、何がどのように安心に繋がるか。生産者はどう思い、どんな努力をしているか知りたかった。ただ不安に思っているのが悔しかった」

蔦「言ってみれば、自分の意識の低い一般市民代表。社会全般として『福島についてできれば考えない方向』にいっている。たぶん、生きているうちに、またどこかで原発事故はあると思う。その時にこの取組みは活きてくる。現場では皆さん、予想外に前向きだった」

関口「2年経った311の節目で、実は初めてのボランティア参加。ちゃんとした知識なしに、ただ頭でっかちになっていた。福島を安直に敬遠している風潮も感じる。実際の作業は途方もなく単調だが、必要なこと。この作業を経て、福島の農業がどこまでいくか見届けたい」

石田「たくさんのボランティアに参加してきて、放射能関連は初めて。普段は配達なので、自分が参加することで、消費者に伝えることができる。消費者は『仕方ないね』という人と、『代わりに北海道産を買う』という人に分かれる。心配するとキリがないが、寄り添うことはできる。生産者の想いに直に触れられてよかった」

 

 3月21日(木)。

大阪いずみ市民生協から、商品検査センター長・美野さん。JA・紺野さんと一緒に

美野「1989年、チェルノブイリ後の北欧の検査体制の視察にフィンランド、デンマーク、スウェーデンに行った。当時は輸入食品370ベクレル/キログラムが基準で、現在の福島の方が厳しく、厳密に測っている印象。生協としては、組合員からの声があれば動かざるを得ない。このプロジェクトについては、初めて聞いた時から興味があった。消費者は『ゼロ』か『ほんの少しでも出たか』で判断する。そこを打破するためにも、この『田畑一枚一枚、全て測る』ことが重要」

 

 3月28日(木)。

大阪いずみ市民生協・西口さんと、初参加のコープぎふから常勤理事・戸高さんと大山さん。この日はインフルエンザで欠席の紺野さんに代わり、現場スタッフ・阿部さんに参加いただきました

西口「特に印象的だったのが『田畑全部を検査する』ということ。検査センターに勤めているが、他の場合も、抜き打ち検査だけでも『検査してます』と言わざるを得ない。全部は実質無理。しかし、この『これ以上ない』ところまでやっている福島は、自分が本来『こうあるべき』と思っていたかたちを実施している。消費者も全部やって欲しいと思っている」

戸高「小山先生の言う、『必要な4段階の検査』はスッと理解できて、『そうだよね』と普通に思えた。レクチャーにあった『プロジェクトの意義』、『現地の消費行動』、『心の復興』が、プロジェクトとしての取組みと合致している。実際に測って、田んぼごとの数値の違いを実感した。地道な作業を体験し、現場スタッフの作業を目の当たりにして『すごい』と率直に思った。これだけやって、それがやっと正しい広報に繋がり、そうして消費者にしっかり判断してもらえる。今後の日常にも活かしたい」

大山「自分は役にたてたのか。岐阜からの参加は、まず最初に理事長からの話があり、一種の使命感があった。311直後、宮城に最初に共に行った盟友、戸高さんと来た。移行係数についてなど、来てみて初めて知ったことがあった。これからはアンテナを高くして行きたい。この地味な作業が本当の復興に繋がる。2日目頃から、『米をつくらしてくれ。食べてくれ』という、田んぼの声が聞こえた」

 3/29/2013
事務局