事務局の報告@コープネット経営会 2/5/2014



            「生協、福島にて」

 はじめまして。
 この度は貴重なご機会、感謝いたします。本日は約1年半、福島にて、約60週にわたり約300人の生協職員ボランティアを受入れてきた現場から、話させていただきます。


 まず、そもそも私は、福島の人間でも生協の人間でもありません。2000年にNYの美大を卒業以降、説明し難い振り幅で、50誌以上の媒体に書き散らかすフリーのライターでした。
 活動の根底にあるのは、短い言葉で説明を試みますと「活性化」ということです。
 小さな頃から、テレビで政治家の汚職や世界各地で起きる紛争を見るにつけ、「大人は何故当り前のことをしないのか」と感じてきました。「他人を敬う」とか、「ウソをつかない」といった、当り前のことがまかり通ってないから、社会の矛盾がなくならない。
 とはいえ、それを愚直に言っても無駄なことは、人から指示されると逆らう自分のタチからわかっていました。
 ではたぶん、人間は考えるきっかけさえあれば、誰でもたいてい正しい道を進むはず。ここでは「人間」や「正しい」の定義は脇に置きつつ、社会に「考えるきっかけ」を投入、つまり「活性化」し、議論を生み、そこでおのずと「正論」が浮かんでくる。
 そういうイメージを常に抱いてきました。そしてその上で、いつも最大の敵は「無関心」です。そのように活動をして10年以上が経ちます。

 その渦中で、福島にて「生協」という大組織に見せつけられた可能性がありました。
 正直、最初は
「ここまで地味な取組みに、どれだけボランティアが来るのだろう?」
「最初は来ても、数週間で途絶えるのでは?」
と、思っていました。

 そこで、「福島に来た動機は?」と2012年10月、プロジェクト開始第一週目に来られたならコープの皆様に伺いました。その時のお答えが、「どんな社会の変化があったにせよ、生協には『一人は万人のために 万人は一人のために』という精神が残っているんです」でした。

2012年10月10日:第一回交流会  地元生産農家:黒沢様 斉藤様  ならコープ:酢田様 木村様 上床様  福島県連:熊谷顧問 佐藤専務

 皆様がボランティアで福島に来ることは、究極的に地味で単調な測定を続ける現場の「活性化」になるだけではなく、泊まっていただく、観光客の減ってしまった温泉街の「活性化」、先の見えない不安の中にあった農家の「活性化」となります。また、社会を半信半疑にしか見ていなかった私自身が、「世の中捨てたものじゃない」と思うに至る「活性化」にもなりました。

 同年の9月、福島大・小山先生からの連絡で、プロジェクトの正式始動に先駆けた「検討学習会」参加のため福島に赴いた際、純粋な驚きがあったのを覚えています。

福島県生協連 2012年9月  福島大学・小山良太准教授

 そこには、原発事故直後頼りにし、インターネットを通じて情報収集させてもらっていた著名ジャーナリストはいない。もちろん、行政もいない。しかし、生協の皆様がいらっしゃいました。
 集合場所がJAだったということも、私を混乱させたかもしれません。当時の理解では、JAと生協は性格として正反対。それが当り前に連携し、日本全国から、当然日々の仕事もあるだろう皆様が集結し、福島の復興について真剣に考えている。

JA新ふくしま 2012年9月  菅野孝志JA新ふくしま組合長

 そこが、自分にとって初めて「協同組合」という概念を意識する経験でした。
 資料の小山先生記事は、週刊朝日の連載用に、2011年の夏に伺った話をまとめたものです。「農地をすべて測る」ということがいくら「正論」に聞こえても、規模が膨大で、行政が乗り出さなければ不可能だろうと思っていました。

 それでも、民間は動き出しました。
 プロジェクトが実施されるのが「農協と生協の連携で」という事実は、当時少なかった希望の光のように感じました。2012年秋頃、ネット上にはまだ「福島で農業を続ける農家は人殺し」、「言われてつくるのではオウム信者と一緒」といった意見が飛び交っていた最中です。

 今も、福島が置かれた複雑な状況の多くは解決されずに進行中です。

 そこには、地元の方々から多く聞くことの一つである、「県外へのアピールの仕方がわからない」現実もあります。
 それは裏を返せば、福島はこれまで、海も山も果樹も野菜も米も日本酒も温泉も歴史ある祭も有し、アピールなど必要ないほど豊かな土地であったと理解しています。






 福島の生協は神戸に続き、全国2番目にできました。
 さらには「農協発祥の地」とされる集落があり、そもそも住民同士が繋がる、生活レベルでの草の根的な運動が活発な地でした。
 そんな福島の生協運動、市民権運動を牽引した関誠一氏の言葉が、今も県連の会長室にかかっています。

 これこそ、誰も口にしなくなり、自分自身長いこと考えもしなかった「正論」ではないか。
 実際に現場では、ややこしい理屈云々の前に、目の前のやるべきことをやっていく動きが頼もしく始まっています。「正論」から遠ざかる一方の世の中で、当り前のことを当り前にやる組織の存在感が増しているかのようです。

 本プロジェクトは2013年度の協同組合学会にて、JAと生協の希有な連携が評価され、実践賞をいただきました。

 しかし、最も特筆すべきは、むしろ生協の皆様にとっては当然であろう、災害があれば日本のどこにでも駆けつける機動力、行動力ではないでしょうか。生協はすでに、今までの価値観を再構築した先にある未来を担う、本質的な「最先端」を体現しているのではないでしょうか。

 福島の現状についてです。
 プロジェクトを通じて「交流会」を毎週水曜夜、約60回開催し、地元農家さんのお話を伺ってきました。
 この回に来ていただいたのは、プロジェクト正式始動前、 地域住民の手で詳細な放射性物質の分布マップをつくり、世界に誇るべき初のモデルとなった伊達市は霊山、「きれいな小国を取り戻す会」、菅野さん。

 彼の地は、隣の飯舘村のように全村避難にはならず、しかし線量によって家ごとに避難指定がされる状況にあります。本来仲が良かったお隣り同士も、時には家ごとに1000万円以上も差が出る賠償金に揺さぶられます。
 菅野さんは、「問題の解決に向けて地域で一枚岩になろうとしても、住民感情がまとまらなく混乱した状態が続いている」と、嘆かれました。

 そして、こちらも飯舘村に隣接する月舘町から、きのこ農家、斎藤さん。

 「原木は諦め、ハウスの菌床栽培で、おが屑も県外から仕入れ、理屈上も、現実にも、一度としてND超えすらない。それでも未だ、風評被害の嵐が吹き荒れている」と語られました。
 月舘も、飯館のようにメディアに出ることも避難指示が出ることもなく、しかしそれなりの線量と様々な未体験のストレスに翻弄されている地域です。

 同週ボランティア参加いただいたユーコープの組合員さんは、交流会の場で話を聞き、
「わかった。私、あなたのキノコが欲しい。これで家に送って」
と、直接現金を斎藤さんに渡されていました。この方は、「福島にボランティアに行く」と言ったら家族中から反対されたという、放射能に慎重な姿勢のお宅から来られました。この時の交流には、色々な示唆が含まれていたように思います。

 福島の農の復興を考える上で、問題を突き詰めていくと、農家さんに対する最終的な質問は「お宅では食べているんですか?」です。

 土壌スクリーニング・プロジェクトは、何よりも農家さんがご自分の作物に確かな自信を持てるよう。消費者にはもちろん、まずご家族にご自分の言葉で安心の根拠を語っていただけるよう。そして、「美味い米をつくっている」という誇りを再び持っていただくための取組みです。
「安全か要注意か」
「農業を続けるべきか否か」
 判断材料を与えず、ただ指示を伝えるだけのやり方では、作り手には届きません。

 県内17ある農協の中で唯一、プロジェクト実施の決断をくだされた「JA新ふくしま」、菅野組合長。昨年末に開催された土壌調査中間報告会、冒頭の挨拶にあった、穏やかな、しかし熱いお言葉が耳に残ります。
「大雑把な測定で、『これで大丈夫』とした国に蔑ろにされたのではないかという想いが、徹底した土壌調査の実施に繋がりました」。

 JA新ふくしま管内の、行政による土壌調査数は31ヶ所。
 対して、プロジェクトの調査数は、田んぼと果樹園を合わせた約38800筆を3ポイントずつ。
 つまり、11万5千ヶ所を超えます。

 そもそもの福島県産農作物の美味しさはいわずもがな。県内に腕利きの有機農家さんが多いことも、それを実現させる福島の豊かな土壌を証明しています。
 考えるほど、「福島で地産地消」という言葉が頭に浮かびます。
 現在世界で主流な経済、流通のかたちの逆を行く意味での「食(と、理想的には『エネルギー』も?)の地産地消」。
 福島が置かれた状況は、逆説的にその意味を問いかけているような気がします。

 私の出自がアートであることはお伝えしました。優れたアートには想像力が不可欠です。現在すごいスピードで風化が進む状況の根本には、よく指摘される「無関心」と、現代人の「想像力の喪失」があります。
 問題の肝は、原発災害を他人事でなく、どれだけ自分事として捉えられるかどうかに行き着きます。
 福島県民が抱える、かつてない種類のストレス、農家の悔しさ。
 それでも前進するための、農地一枚ごとの線量を測る必要性。
 そして実際に、盆地特有の夏の暑さと冬の寒さの中、雨の日も風の日も一年中、広大な農地を測り続けている7名がいることまで想いを馳せることができる方は、そんなにはいません。


 私は、日本のどこであろうが災害が起きた際、あらゆる被災地の現場を知る生協の皆様だからこそ、現地ならではの苦悩を想像できるのだと理解しています。
 そうして実際現地に赴き、状況を眼で見て声を聞き行動し、支援を実施することが当り前の文化として定着している皆様の持つ力は絶大です。
 ここで言わんとしていることは、福島県生協連にて復興への陣頭指揮をとってこられた佐藤専務が予々言う、「皆様に、福島を正しく伝える伝道師になっていただきたい」との言葉にも、集約されます。

 最後に、日本は性質として、ある意味で外圧に弱い側面があります。
 福島は今も、原発災害が生む難題の一つ、「分断」に苦しんでいます。
 ですので、福島を訪れた皆様には、それぞれの地元に戻られてから、これはいい意味で「福島に対する外圧」となり、まず現場が一枚岩になれるよう。そして、そうすることで「活性化された福島」が、この人類未体験の苦難を打破し、ポジティブな何らかに転換できるよう。その発起点となっていただくことをお願いして、今日の話を締めさせていただきます。

 私が肌で感じてきて、率直にお伝えしたかった、混沌とした現代を「生きる価値ある未来」に導かんとする御組織の意義、少しでも感じとっていただけたことを切に願います。

 ご清聴、誠にありがとうございました。

2/11/2014
事務局