2012年11月21日、福島県の有機農業の第一人者、二本松有機農業研究会・大内信一さんをお招きしての交流会がありました。
特に有害物質に敏感であろう有機農家にとって、昨年の原発事故がどれだけの衝撃だったかは想像に難くありません。しかし事故直後、ガソリンの確保もできてないうちから、「やってみなきゃわからんだろう!」と畑を耕しはじめた大内さんの姿には、跡継ぎの御子息も驚かれたといいます。
たとえ放射性物質が降り注いでも、長い年月とそれこそ命をかけ、丹念につくってきた土の一番いい部分を5センチも剥ぎ取る痛みは筆舌に尽くし難い。そして、降り注いだセシウムを直に受け止めたほうれん草からは高い線量が確認されたのに、その後に育って5月に収穫したほうれん草からは、セシウムは出なかった。加えて長ネギ、玉葱からも放射性物質は検出されない。さらにはじゃがいも、さつまいも等、芋類からも出ませんでした。
その時大内さんはこう思ったと言います。
「我々は、土の力と作物の知恵に助けられた」
以下は、大内さんを紹介くださった福大・小山チームの石井秀樹特任助教と県生協連・佐藤専務も交えた、「生産、研究、流通の交流」現場の報告です。
未だ腰の重い行政に対し、自ら作物や土壌を調べ、どんどん放射能の農作物への影響を判明させていった有機農家の動きは迅速でした。
もともと、チェルノブイリの経験からわかっていることは、例えばきゅうり、茄子、トマトの放射性物質の移行は限りなく少ないということ。大内さんはさらなる打開策として、これにもどうやら移行率のとても低い根菜類から、人参ジュースに力を入れていきました。
「ジュースからもセシウムは出ない。それが有機栽培の人参で、特に『福島を支援しよう』という人たちや、あとは有機農業研究会に入ってる人たちの支援も受けながら、結局は『安全で、味がよくて、健康にいい』ものは好まれるのかなって」
そうして、約20トンの人参が絶品ジュースに姿を変えました。
必ずしもそう作用するわけではないながら、例えば、蒸留酒をつくる過程で放射性物質を完全除去できることがわかっているように、農作物の加工も、安全な食の確保に効果的な手段です。
大内さんが続けます。
「油になるものがまた、土から一番セシウムを吸うとされている傾向があるんです。菜種、ひまわり、大豆。それでいて、セシウムは油に移行しない。不思議なもんです。だから、ウチも去年の豆はそっくり油にしようって」
とはいえ当然、現実にはたくさんの問題が山積みです。
例えば地元福島の農家さんでも、家に小さな子どもには県産の農作物を食べさせなくなってしまった。地域の小学校に卸していた野菜も止まり、大内さんの場合でも、取引き先は事故前から約6割減となりました。
「有機野菜を食べるような人たちは特に有害物質に対して敏感で、熱心なほど真っ先に断られたっていう傾向もあります。それが古い付き合いの方でも、やっぱり子どもがいると『ちょっと福島のものは』と。そうなるとウチらは無理にとは絶対に言えない。今まで、せっかく農薬とか添加物を減らそうとしている中で、数字的には『大丈夫だ』ってことはあっても、もう『絶対安全』とは、福島についてはそう言えねぇんだよね。やっぱりそれが一番悔しい」
との言葉が、胸に響きます。
「やめる人はもう、数字よりも『福島が怖い』。そして応援してくれてる人たちは『大内さんが食べているもんなら、ウチらも食べますよ』ってね」。
まだ誰にも明確な復興への行程が見つからない中、最前線でその道を模索する石井先生が言葉を添えます。
「やり方は一つじゃないと思うんです。ケースバイケースで、『ここでは、こう対処すべきだ』という方向性は見えてきているけど、最終的に何らかの特効薬があるとは思っていません。ただ、土壌中のセシウムが野菜に移行するとして、その値は1/1000あるかないか。一方、お米には『水から移行する』と言われています。ということは、逆に、水の対処ができれば福島でもクリーンな米はつくれるし、水の対処はまだまだ検討の余地がある。ですから、現状を粛々と整理しながら、今までの科学的知見をもって『こうだ』と言うだけではなく、『未知の問題をどう考えたらいいの?』とか、まだ意外と盲点もある。それと、私がつくづく思うのは、『頭でっかちな観念論』はよくないということです。数値は数値で重要ですが、同時に『誰々が食べてるから自分も食べよう』という、人間的な感覚も必要ですよね。だから、その辺は『研究者』という人たちも情報の出し方を考えなければなりません」
かねがね、「『農学栄えて、農業廃れる』ことは避けなければ」と仰る先生の言葉に、大内さんが続きます。
「どうやらはっきりしてきたのは、ちゃんとつくられた豊かな土ほど、放射能は作物に移らないということ。作物もバカではないんだから、美味いか美味くないかわかるんだよ。作物だって美味いものを食べたいわけで、自分の欲しい、大切なものを先に吸うんです。ただ、何もないと、セシウムを吸うしかない」
それを受けた佐藤専務が「そう考えると、何でも食べちゃう人間の方が作物よりバカだよね」と笑い、大内さんが「だから土なり、作物の力を信じながら『福島の農業を守っていく』のが我々の使命でないかな」と言葉を添えられました。さらに、もともと福島、二本松という土地が持っていた特色についても話してくださいました。
「福島は『適度に寒い』んです。ウチらはやっぱり、寒さも味方につけて、虫とか病気をそこで遮断して防ぐ。それで春はできるだけ早く種を蒔くと、例えばキャベツなんかはあんまり虫のいない5、6月にきれいにできる。それで秋には、そこでも虫とあんまり競争しないよう、ちょっと遅めに蒔いて、そうするとできる。これがあんまり寒いと、冬の野菜の出荷ができません。でも福島は、会津の一部はともかく、雪も適当に降りつつ、なんとか冬でも野菜が出荷できる。それであとは、前の佐藤栄佐久知事の手腕で、農業センターに全国にもあまりない『有機農業推進室』がちゃんとある。それが今でも、一応機能しているんですね」
約40年前、農家の重労働を減らす目的で農薬や除草剤の使用が全盛だった中、国内で初めて有機農業が始まった頃から、その最先端で取組んでこられた大内さん。
そこでは意識ある消費者との出会いや繋がりがあり、それらと平行して農薬の害もありました。それが「1、2人では消費者の対応もできない。会を組織してみんなでやろう」、「農協の中に二本松有機農業研究会をつくろう」という流れをつくり、遂に佐藤前知事時代に発足したものが、脈々と今にまで繋がってきます。
大内さんの実感として、今もお仲間は十分にいるのか、もっとどんな助けが必要と感じるか、伺いました。
「福島の農業を守るのは、農民の力だけではだめです。私たちはできる限りすべてを測り、数値を公表して、安全な作物をつくる努力をする。その上でやっぱり消費者と一緒になって、『食べることで福島の農業を、農地を守る』っていう感覚で一緒にやっていければと思います」
そこに佐藤専務の合いの手が入ります。
「線量が高いなら高いでしょうがない。現実は受け止めなきゃいけない。だけど、その受け止めた現実の中からどういう対策をうつかっていうことが大事でしょう?それが、今までされてこなかった」
唐突に福島に訪れた、世界的にもかつてない種類の苦難。その打破のため、JA新ふくしまと県生協連が連携して「土壌スクリーニング・プロジェクト」は始動しました。
プロジェクトを主導する福大・小山チームから石井先生が、今後の展望を語ってくださいました。
「それで今後、例えばじゃあ『作付け制限を解除する』となった時、行政がただ規制緩和だけしても無責任なわけです。その時に『どう対処したら良いか?』という問いに、答えられなければいけない。だって、この状況で『どの肥料を、どれだけ蒔いていいの?』とか、そこからして今までの経験とは全然違ってくる。だから単なる解除でなく、その後もきめ細かい営農指導ができないとだめ。今は米の全袋検査もしているし、吸収抑制対策の方向性も見えてきている。その上で『一枚一枚圃場の管理をしていく』という方向になるのなら、その時は作物をつくってもらうのが合理的です。なぜならまず、収穫物をつくることで土地は荒れません。また、『生産する』ことはやっぱり農家さんにとっての生き甲斐に直結する。そこで『生産しない』となると、土地を荒らさないためだけに耕耘機をかけ、富を生み出さず、代わりに補償金を与えられるだけでは、人間はくすぶってしまう。だから、今後行政も『生産する方向にいくんじゃないかな』という予想はしつつ、でも、再開になってからの取組むべき課題もあると思っています」
最後に、大内さんの言葉を紹介させていただきます。
「やはりね、我々のところが『放射能でもうダメだ』っていうんだったらあれですが、どうやらそれもなんとかなりそうだと。そういうことを全部総合して、そうすると今後、結局はまた農薬に関心は返ることになるでしょう。だから、そこで農薬の害なくして、これは地理的にも気候的にも、『福島県を日本で一番安全な農産物の生産基地にする』。そのことを、いつもみんなで言っています。まあ、『それくらいの意気でないと、今やってられねぇ』ってね(笑)」
3/22/2013
事務局