「心から結びつき助け合うことは、人類の普遍的な利益である」
ーロバート・オ−ウェン
タイトルはただの美辞麗句ではありません。
東京から約250キロ離れた福島で、市民の健康と安全をできる限り担保し、同時に、国内外から寄せられるお気持ちを繋ぎ続ける、全力の取組みが求められています。当然、今までもそれを実践、継続してきた民間の努力については、言わずもがなです。
もしかすると本当に、「協同組合の力」でしか福島の復興が成されない。
それも言い過ぎではないほどに、局面は誰にも打つ手がないまま膠着しています。今、ともすれば平和な時代には、そこに身を置く私たちですら忘れかけていた「協同組合の本懐」を発揮する時かもしれません。
行政が根拠なき安全論に終始してきた結果、何らか発信があっても一般市民は半ば自動的に、それを懐疑的に受けてしまう状況ができました。それは、県や国が「安全」と言うほど風評被害が助長されてしまう、難しい現実です。
また、311以降の社会において、既存メディアに対する信用も失墜しました。そもそもインターネットの隆盛におされ、売上げと広告費が減る一方の大手メディアは生き残りをかけ、真実を伝える矜持よりもクライアントの顔色を伺うことに腐心せざるをえません。そんな背景もあってか、オリンピック決定後の広告収入を期待する中で、「福島原発は制御下」とした総理発言にすら切り込み倦ねています。
未だ家を追われた約15万人が県内外を彷徨い、原発関連死者は1300人を超え(2013年9月11日現在・東京新聞)、次の半減期まで28年間かかる見えない敵との格闘は続きます。福島が抱える問題は大き過ぎ、個人での対応は不可能です。
実は、協同組合間協働の実践はすでに進行しています。
それは、昨年10月に始動したJA新ふくしまが主体となって行う「土壌スクリーニング・プロジェクト」。土壌測定に腰の重い行政に代わり、農の再生と食の安全確保のため、農地一枚一枚の詳細な放射性物質分布マップをつくる。そこに、消費者代表として全国の生協職員がボランティアで入ることで取組みを可視化し、隠しだてのない、信頼の担保となっていただく。その上で、そこで出る数値を確認いただき、その如何はそれぞれに判断いただく。そうして短期間でも福島を見て、聞いて、感じて、地元に戻ってから「福島の伝道師」となっていただく。ここまで一年間で、約120名のボランティアに来福いただきました。
市民感覚から遠く複雑な放射能について、県外の一般市民による確かな認識を期待するのは酷な話。そしてまた、天災と人災が幾重にも重なった福島の状況を話だけで想像しろというのも、無理な話です。
土壌スクリーニング・プロジェクトで明らかになったことは、福島を理解いただくのに最短の道は、実際に来て、見て、交流し、感じていただくこと。暗中模索と試行錯誤の実践の末、行き着いた結論は結局「身を以て体験いただく」という、ある意味最も原点回帰した方法でした。
考えてみれば、信頼を失った行政、メディアに代わり、残された活路は「人間同士の繋がり」であったという事実。甚大な被害の中で、協同組合だからこその機能が再認識されたのはせめてもの光明であり、そこに身を置く私たちは、自覚と誇りを持ち、与えられた各自の役割を全うするのみです。
とにかく、福島を理屈抜きに感じていただく。
そのためにまず必要なのは、現地が一枚岩になることです。立ちはだかる大きな関門は、放射能が持つ代表的な特徴である「分断」を乗り越えること。現状どうやら、その先鞭をつけるべく役割を担えているのも「協同組合」です。
ここで再度、協同組合の父、ロバート・オーウェン氏の言葉を引用させていただきます。
「もし、人々の意見を一致させることができないとしたら、せめて、皆の心を寄せ合わせるよう務めようでないか」
厳密に迫れば、個性ある人間と人間の間に差異があるのは当然のこと。
逆に言えば人間は皆違うことで同じ。
まずは差異を大前提に、それを認め合うところから始める。その上で、例えば「子どもを守る」、「福島を忘れさせない」、「福島を繰り返させない」といった、協働に値する価値観は必ずあります。
今、私たちの子孫のため、「この世は生きるに値する」証拠を、歴史に残す必要があるのです。
9/11/2013
事務局