5週間のインターバルを経て、2月18日の週からやっと再開した「土壌スクリーニング・プロジェクト」。それにしても、まるでそれを祝ってくれるかのように中身濃く、賑やかな一週間でした。
ボランティアに来福されたのは日生協・柳ケ瀬様、コープネット栗原様と藤田様のお三方。作業休止期間も走り回られていた石井先生のレクチャーは、蓋を開けるとさらに充実の内容で、皆さん「これを毎週やっている?」、「しかも知らないことだらけ」と驚かれていました。
柳ケ瀬さんは、「一般的な『汚染』の理解として、一度放射線に当たったらそれが『汚染だ』と、ちゃんと理解している人間がまわりにもいない。放射性物質には実体があって相応の対処可能なのに、汚染と被ばくの違いもわからないまま『汚染』という言葉が一人歩きしている」と、一般社会の認識を要約してくださいました。
そして、久しぶりの作業再開に加え、全岐阜県生協連さん御一行12名の福島視察も重なりました。まずは県生協連にて、福島では普通になった、NaIシンチレーション・カウンターによる粉砕作物1キロごとの食品検査を見学していただき、その後土壌スクリーニング現場にお連れしました。
JA新ふくしま・紺野さんからのプロジェクト説明を受け、皆さんが最も驚かれていたと感じたのは「国は汚染状況を測っていない?」という点でした。
メディアを通じ、放射能汚染を受けての避難や賠償、除染方法が問題になっている中、そのすべてのベースとなるはずの、そもそもの汚染実体の把握がされていないという事実に驚かれるのは当然です。
自分でガイガー・カウンターを持って歩けば、隣りの家同士でも線量が大きく違うことは明らかです。それなのに、2キロ・メッシュの1ポイントのサンプル調査、または飛行機による大気の汚染調査で対策をたてても、実際そこに住んでいる県民の不安を払拭することも、除染効果が期待されるわけもありません。
そこに、田んぼから柳ケ瀬さんが満面の笑顔で、
「次は是非、福島へボランティアに!」
と仰ったお言葉が、皆さんに届いたように感じました。
水曜夜の交流会は、これまでも何度かお世話になっている土壌クラブ・高橋代表と野崎さんに参加いただきました。
土壌クラブは、無策の行政を尻目に、福大・小山先生に出会う前から「せめて自分たちの畑の状況は自分たちで把握を」と、独自でスクリーニングを実施していた農家さんの集まり。そんな団体がいたという事実に、ボランティアのお三方はいたく感心されていました。
会は盛り上がりました。
土壌クラブのお2人からあった言葉は、
「もともと賠償金や補助金に頼るつもりなく農業をやってきた。それは、自分たちは買ってくださった皆さんの『美味しい』という声を聞きながら経営していきたいから」
「お客さんとの繋がりは財産」
「地道な努力を評価していただき、美味しさを再評価してもらいたい」
「メディアではダメなところだけがクローズアップされ、取り上げた後のフォローもない。だから自分たちで何が起こっているか把握しておく必要性を感じて、勉強をしてきた」
「『ウチのは大丈夫』という対応ではあまりに浅はか」
「こんな事態では、ベースとしての『福島ブランド』の復活なくして、自分の復活もない」
といったものでした。
それに対し、巨大市場を擁する関東圏のお三方からは、
「東北は要求を言わない。そして東京のおばちゃんたちは、何か言われるのを待ってるという構図がある」
「『食べて応援』という人、『絶対買わない』という人がいるが、実はその間の中間層が一番多い」
「生協だって福島の食品の実体について説明しなきゃいけない立場」
「福島県産は仲買に叩かれて安くされ、売る時は『食べて応援』と言って元の値段に近くなり、そして『安くて美味い』という評価になる」
といった指摘がありました。
土壌クラブとして最初に、ある意味運命的に、同じくスクリーニングの必要性を説いていた小山先生と出会った野崎さんは、
「もし組む人を間違っていたら、数字だけを見られて、ただの実験場にされていたかもしれないです」
と当時を振り返り、それを聞いた柳ケ瀬さんは
「小山先生がただの理系の先生じゃなくてよかったね!」
と笑われました。
そこで野崎さんが改めて仰った、「やはり目指しているのは福島市の果樹の復興。自分たちだけの復興ではないんです」という言葉が印象的でした。
予々福大・小山チームが提唱されている、これが医者であれば病気の発見だけでなく、その処方箋、治療方法まで提示して付き添うべきという姿勢の大切さを、また強く感じました。
最終日はワークショップです。
ここでは改めて作業の総括をするよりも、事務局として、プロジェクトにもっとボランティアを募り、総力戦で作業の遅れが顕著な田んぼのスクリーニングに臨む方法を、ありがたくご教示いただきました。
「被災地に支援要請のさじ加減は必要ない。とにかく、切迫感を伝えること」
これが、一番のポイントと受け止めた次第です。
また、栗原さんにいただいた
「来てみてわかったが、現場は今情熱だけでやっている段階。これをもっと組織だててしっかりさせ、最終的には農家さんそれぞれが元気になるような活動にしていければ。私は秋田出身で、福島は自然も食も豊かで都心にも近く、老後住むのに良い場所だと思っていた。それがこんなことになり、地元の人に投げやりな気持ちにさせない、やる気を喚起する方向の復興をして欲しい」
とのご指摘、ありがたく、真摯に受け止めました。
2/22/2013
事務局